北杜折々の記7

 北杜山荘の菜園               円内:ある朝の収穫(二人で食べるには十分)  
 北杜山荘の菜園               円内:ある朝の収穫(二人で食べるには十分)  

 夜がまだ明けきらない6時過ぎ、「義母の呼吸が止まりました」との電話連絡が入った。落ち着いた声の主は、患者の長男の嫁。「夜中の2時過ぎに離れの義父から『お母さんが息をしていないよ』と電話があったので急いで駆け付けると、お義父さんが呼吸の止まったお義母さんの顔をじっと見ていました」とのことだった。私への連絡が遅れたのは、“家族だけでお別れの時間を持ちたかったから”だった。

 

 100歳を超える夫が妻の逝くのを見届け、家族水入らずのお別れの時を持ち、頃合いを見計らって医師へ連絡をする。わたしが教科書に書いた通りの、理想的な幕引きだった。死亡診断をしながら、長男夫婦と言葉を交わした。

「120点の看取りでしたね。でも、最初はひどく戸惑っていました。」

「経験したことがなかったので、怖かったのです。それでも先生や看護師さんたちがしっかり支えてくださることがわかり、それからは安心して義母の看病ができました。ありがとうございます。」

僕の意地悪な質問に、一番頑張ったお嫁さんが模範的な回答をしてくれた。

「家で看取ることができて、ほっとしています。本当によかった。でも、これから先生たちと会えなくなるから寂しいです。」

最後にそう言いながら、彼女はいたずらっぽく笑った。

 

 “100歳に近い高齢者の看取り”のつもりであったが、われわれチームが関わるようになって患者さんは大変元気になった。それはそれでよかったのだが、私には気になることが一つあった。それは体温がいつ測っても37度台。家族には「どこかにがんでもあるのかな。腫瘍熱*だとすれば話は簡単なのですが・・・」と話していたのだが、思いもよらぬところから微熱の原因が判明した。案じたとおり、いわゆる腫瘍熱だった。診断の糸口を作ってくれたのは、食事介助をするショートステイのヘルパーさん。口腔内の異常に気付き、僕に連絡してくれた。進行した舌がんだった。

 

 我慢強い患者は当初あまり痛みを訴えなかったが、顔の表情から痛みを我慢しているのが分かった。幸い麻薬貼付剤で痛みは緩和できたのだが、最終的に使用した麻薬はモルヒネ換算で300mg/日。決して少ない量ではない。もし痛みを適切に緩和しなければ、家族は落ち着いて家で看病することなど不可能だ。救急車を呼ばざるをえなかっただろうと思われる。

 

 患者が痛みで苦しむことはなかったが、がんが発見されてからの経過は早かった。しかし、家族、特に長年連れ添ってきた超高齢の夫は動じることなく、弱りゆく妻の様子を穏やかに見守っていた。その間医師として関わりながら、患者に対する夫の愛情の深さと自然な姿に感動し、老夫婦を支えるご家族の成長を目の当たりにすることができた。死をタブー視しない立派な日本人(P.トウルニエ)を再発見したようで、うれしかった。

 東京から移住してきてちょうど1年。思いのほか忙しく、自分がここへ来た目的(臨床経験を基に医療用麻薬に関する論文を書くこと)をなかなか果たすことができない。でも、在宅医として地域の方々に少しでも役立てば、これほどうれしいことはない。

 

*腫瘍熱:血流の関係で中心壊死を起こしたがんが発熱物質を血中に放出し、体温中枢を介して微熱が生じるもの。体温は38度を超えることはなく37度台で落ち着くのが特徴。除外診断である。