学会等発表

 第46回日本死の臨床研究会年次大会 発表報告

 

 事例検討2

 超大量経口麻薬を長期間服用し在宅死した50歳代乳がん患者のQOL

  -オキシコドン経口徐放剤1,440㎎を5年間服用したケース-

   川越厚(在宅ホスピス研究所パリアン、森の診療所)

 

1.はじめに

緩和ケアの最終的な目標は患者のQOL(Quality Of Life)を改善することにあり、そのためには患者が苦しむ身体的な苦痛を十分緩和しなければならない。死を前にした患者が経験する疼痛や呼吸苦の緩和にはオピオイド投与が非常に有効であることが知られており、その投与期間は一般的に短い。しかしそのような患者が長期に生存し、結果的に大量の強オピオイドを長期間投与しなければならない事例も稀に存在する。

今回取り上げるのはそのような稀な事例に属するが、『緩和ケアとは何か』『長期ゆえ、患者はどのようなことで苦しむのか』『その苦しみの緩和のために我々は何ができるのか、あるいは何をしなければならないのか』『大量の麻薬を長期間投与して問題はないのか』などの問題を考えるうえで、このような長期に及ぶ事例は重要な示唆を与えてくれる。

 

2.事例概要

事例紹介

患者A氏は初診時40歳代、死亡時50歳代半ばの乳がん患者である。B診療所において当初は外来診療、通院が困難となって以降は在宅ケアを受け、8年間弱の経過で死亡した。経過中、呼吸苦緩和のためオキシコドン塩酸塩水 和物錠1,440mg(経口モルヒネ換算2,160mg)を5年間服用した。経口摂取が困難となってからはDDS(Drug  delivery system)の変更を行って必要なオピオイド投与を継続し、オキシコドン塩酸塩水和物錠を中止して2カ月 後に在宅死した。

 

事例経過

X年12月、会社の健康診断でCEAの異常高値と肺野の異常陰影を指摘されたA氏は、紹介されたC病院を直ちに受診し、右乳がんの診断を受けた。この段階で右鎖骨上のリンパ節がクルミ大に腫大し、がんは既に肺へ転移していた。原発部の右乳房はひきつれて陥凹し、一部が潰瘍を伴った壊死状の腫瘤を形成していた。

診断したC病院の医師はA氏に「がんと共存することになるが、放置すると余命3カ月以内、治療を受ければ5年生存率は30数%、10年生存率は数%です」と伝え、治療を勧めたが、この説明を受けたA氏は一切の治療を拒否し、「在宅ホスピスケアを受けたい」と言って、(X+1)年3月3日(この日を1日目=d1と表記する)、B診療所を受診した。初診時、体力低下とともにNRS(Numerical Rating Scale)で3/10の右前胸部痛、咳の訴えがあった。未治療ゆえ、B診療所の医師もA氏に『紹介元のC病院で治療を受けるように』と強く勧めたが、A氏の気持ちに変わりはなかった。

治療拒否したA氏は死が間近いことをはっきり認識しており、「自分にはこの世のしがらみがないので、治療を受けてまで延命したくない。できるだけ家で過ごしたいと思っているが、家族に迷惑をかけたくないので、最期は病院または緩和ケア病棟に入院することもやむを得ないと思っています」と、胸の内を打ち明けた。

全身状態は悪くなかったので当面の間外来通院で対応し、A氏の気持ちが変化する可能性も考慮して、B診療所の医師はしばらく様子を見ることにした。

オキシコドン塩酸塩水和物錠投与開始で咳、疼痛は緩和したがその後呼吸苦が顕著となり、その程度を指標にしてオピオイド量をきめ細かく調整した。d651には一日量が1,440mg(40mg錠剤36錠)となり、ようやくNRS2/10以下の状態で呼吸苦は落ち着いた。その状態は、亡くなる2か月前のd2577までの1926日間(5.2年間)続いた。

オピオイドの急激な増量に伴う悪心、手の震えが見られたが症状は一時的。その他のぼせ、しびれ、暑苦しさなどの自律神経失調症状と心理的な不安はあったが、呼吸抑制や精神的混乱などは全くなかった。併用薬は抗不安薬と便秘薬。オキシコドン塩酸塩水和物散を月に数回程度レスキューに用いた。

死亡68日前には右上腹部痛が出現し、フェンタニル貼付剤を併用。疼痛は死亡時までほぼ緩和(NRS0.5/10)できた。死亡52日前には兄と歌舞伎観劇、33日前には美容院へ行った。死亡13日前には経口摂取困難となり、モルヒネの持続皮下注射投与に変更した。死亡時(5月29日)のオピオイド投与量はオキシコドン経口徐放剤換算で2,560mg、経口モルヒネ換算で3,840mgだった。この間に出現した症状は吐き気、腹痛、右半身痙攣(死亡3日前より)と全身痙攣(死亡当日)、死亡2日前の血圧低下と呼吸数減少(9回/分)だった。

 

報告者の問題提起

① A氏の“治療放棄”をどう考えたらよいか

② 大量の麻薬を長期間投与して問題はないのか

③ 長期生存する末期がん患者はどのようなことで苦しむのか

その苦しみの緩和のために我々は何ができるのか、あるいは何をしなければならないのか

 

3.討論の概要

会場には本事例と関わりがあった専門職2名の方からの追加発言があり、報告者とは違う角度からの説明がなされたので参加者の方にとって、理解が深められたのではないかと思われる。

上記の問題提起①についてはC病院でも対応に苦慮したようであり、セカンドオピニオンを求める意味でB診療所へ紹介したとの説明があった。また、自治体主催のがん患者会(NPO法人委託運営)で再会したA氏の表情が見違えるように穏やかで、A氏が他の患者を気遣い経験談などを話していた、と驚いたことを述べていた。②については疼痛緩和の専門医(麻酔科医)がこのような難しい症例にはオピオイドの大量使用しかなかったのではないか、またその量が5年間続いたことは驚きだ、と発言があった。③についてはQOLの改善がチームでなされているが、家族もCaregiverであったことが指摘された。最後に、A氏の弟からケアチームへの手紙を報告者が紹介し、とかく緩和ケア関係者が陥る危険性のある自己満足、自己陶酔、唯我独尊、他者愚弄が報告者になかったことが確認できたと思われる。