北杜折々の記11

「チームで看取る」

 

  在宅医療に携わって30年経ったいま思うのは、がん患者の在宅ホスピスケアでは医療者の精神的、肉体的負担が大きいこと。いのちをすり減らすようなストレスの多い仕事だと思う。しかも僕がこの領域に興味を持ち始めた当時、『ホスピスケアの形をとって在宅でがん患者を看取る』ことは全くの未開の分野だったので、多くの困難が立ちふさがっていた。「よくもまあここまで続いたものだ」と、自分自身に驚いている。

 

 『ホスピスケアの形をとって』という言葉は、ホスピスケアの定義を学べばその意味がわかる。定義に盛られた内容の一つは、『ホスピスケアはチームアプローチの形をとって提供する』ということだ。この問題は非常に重要なので、拙著『がん患者の在宅ホスピスケア』(医学書院2013,pp30-40)に目を通すことをお勧めしたい。

 

 北杜に移住して一年有余。あらためてチームアプローチの大切さを学ぶ機会があった。それは内容的に決して褒められるものではないが、要は、最初から最期まで医師の僕がほぼ単独で関わったことである。死亡診断から帰ってきたその日の早朝、僕は疲れていた。専門職がチームを組んでケアすることの重要性を痛いほど感じた。

 

 そんなことは百も承知なのだが、どうして一人で頑張ったのか。答えは、土日にかかってメンバーがそろわないうちにケアが始まり、しかも経過が非常に早かったからである。そもそも在宅医療では患者が現れてはじめて、新たにチームが形成される。このケースでは、そのゆとりがなかったのだ。具体的に説明すると次の様になる。

「70代後半の肺がんの女性が呼吸苦で苦しんでいるので、至急在宅で診てほしい」と、待った無しの依頼が真由美院長からあった。患者が亡くなる4日前の午後のことである。保険診療が可能な(診療所から半径16km以内)ぎりぎりの距離であったが、患者の夫と連絡を取りすぐさま往診にむかった。調剤薬局、訪問看護ステーションなどの関係するところへの訪問依頼は後回しになり、とりあえず医師としてできることをやるのが先決であった。(看護師同行であればかなり楽なのであるが、僕はその形をここでもとっていない)。

 強い呼吸苦を緩和する必要があったので、まず薬局へ行って処方したモルヒネ注射薬を受け取り、それを持って患者宅へ伺った。通常は、医師の指示で薬剤師が患者宅まで麻薬を届け服薬指導をしてくれる。患者宅で診察を行いながら麻薬をポンプにセットし、時間量0.05mlのモルヒネ持続皮下注射を開始した。診察して流量を決めるのは医師の仕事だが、注射の開始と増量は看護師の協力が不可欠だ。とは言え、まだ看護師がケアに加わっていなかったので、これらの作業をすべて僕一人が行った。

 法律上、医師は医行為をほぼすべて行うことができるので、今回のような看取りまでの医療を医師だけで行うことは可能である。だがこのような形は決して良くなく、むしろそのようなことを避けるためにチーム医療の形をとって医療が行われるのである。医師の負担を軽くする、という意味もあるが、それよりもケアの質を高めるという意味合いが強い。医師の力だけで死亡診断までできるのだが、それまでに行う多くの医療処置、ケアは質的に必ずしも高くない。そのことを実感した看取りだった。

 

 

 現在は患者数が以前と比べて圧倒的に少ないのでこのような形の医療提供を続けることも可能だが、患者の立場で考えると決して良いことではない。医師だけではなく、特に看護師が最初からケアに参加することが重要だ。

東京から在宅ホスピスボランティアきぼうの仲間がやってきました。窓外の富士の雪が輝いていました
東京から在宅ホスピスボランティアきぼうの仲間がやってきました。窓外の富士の雪が輝いていました