北杜折々の記16

ある雨の日の深夜往診       
ある雨の日の深夜往診       

在宅医のとまどい3 過疎地における在宅医療の役割 1)急変を支える医療

 

 終活の一環として東京での在宅医療活動に終止符を打ち、この北杜市へ移住してきたのだが、実は今でも森の診療所で細々と(墨田区の約1/10規模)在宅診療を続けている。そこには戸惑いもあるが新たな気づきもあり、毎日が刺激的だ。

 こちらで新たに気づいたことの一つは、在宅医療を提供する側から見て何が最も難しいか、ということである。それは、“急変時の対応”だと思う。病状が急変した時は、患者や家族が最も混乱し不安になる時。その対応は我々在宅医の真価が問われる時と僕は考えているが、大変難しい問題だ。その意味から、急変時の対応は在宅医療の存在意義に関わる問題だと考えてよいと思っている。

 それでは具体的に、在宅生活を送る患者にとっての急変とはどのようなことがあるのだろうか。これから紹介するのは、北杜市へ移住してから経験したケースである。

 

緊急対応1「何が起きても絶対医者にかからない」と断言していた70代の女性。それでも僕とは気があったようで、月一回外来に顔を出してくれていた。ある日のこと、外来日なのに彼女は来院しなかった。その日の夕方、ヘルパーから「患者が熱を出して、お腹を痛がって苦しんでいる」との連絡が入った。日は沈みかけていたが、本人の希望もあり僕はすぐに往診することにした。

 到着時、彼女はベッドに横になっていたが思いのほか元気だった。採血して点滴をし、その日は鎮痛剤を投与して様子を見ることにした。翌日、血液検査の結果がわかり(白血球数が2万超え、CRPは19以上)、びっくり仰天。僕はすぐに患者の所へ駆けつけ、病院で診察を受けるようにと勧めた。彼女は僕の勧めを受け入れ、紹介状を持って病院を受診した。入院してからの詳しい検査の結果、直腸がんが発見され、腹腔鏡手術を受けた。今現在、病院医が主治医となって通院での治療が続いており、僕は時折彼女の相談に乗るようにしている。

 このケースは、元気だった患者に新たな症状が発生し、かかりつけ医の僕が在宅で対応した急変事例だ。患者はそもそも医療嫌いでしかも我慢強いひとだったので、よほどのことがない限り救急車を呼ぶことも拒否しただろう。もし医師の往診がなければ対応が後手に回り、違った経過になった可能性が強い。患者の来院が困難な時、外来診察をする医師が急変時に往診すれば問題はないが、医師にとって外来をしながら急変に対応するのは難しい。

 

緊急対応2「注射器のポンプのアラームが鳴り、父は息を苦しがって悶えています。どうすればよいでしょうか。」

明け方4時前のこと。80代半ばの肺線維症の患者の長男から、慌てた声で緊急電話が入った。どうも、持続皮下注射用の薬液注入ポンプがうまく作動していないようだ。長男と電話でやり取りしながら、ポンプと注入ラインに異常がないかを確認したが原因がわからない。僕は予備のポンプを持って患者の家に駆け付けた。原因はポンプとチューブの連結部が折れ曲がって薬液がうまく入っていかず、ポンプに負荷がかかったためだった。折れ曲がったチューブをまっすぐに直し、しばらく様子を見ていたところポンプは正常に作動し、薬液は問題なく皮下へ送り込まれていた。患者の苦しみも緩和されたようで、声を出して「ありがとう」と感謝された。

 非がんの方に、在宅で薬液注入ポンプを24時間連続使用することは稀である。この方の場合はひどい呼吸苦があったので、モルヒネをポンプで注入し呼吸苦を緩和していたのだが、医療機器を使用すると時間を問わず、どうしてもこのようなトラブルが起きる恐れがある。このケースでも、もし医師が往診して緊急対応しなければ、入院せざるを得なかっただろう。幸い、患者の家は車で約20分の距離だったので、早朝の往診も苦にはならなかった。過疎地では、この距離の問題を看過できない。

 

緊急対応3 90代の患者と同居する長女から緊急電話があった。「先生、父の呼吸の様子が変わりました。心配なので往診をお願い致します。」

老衰で昼間の訪問診療のとき、「まもなくお別れが近いですよ」と告げ、いわゆる終末・臨死期のDeath education(死の教育)をしっかり行ったはずだが、いざ死が目前に迫って呼吸の変化が起きると家族は不安になるようだ。僕にとっては予測された経過で特別な緊急性はないが、やはり顔を見せなければならないと思い往診に伺った。僕が行って聴診器を当てて診察したところ、居合わせた家族は安心し、その後の看取りも落ち着いて行うことができた。

 決められた日時の訪問診療ではなく、患者や家族の要請に応える形の往診は医師にとって大きな負担となることもあるが、在宅で患者が安心して過ごすために非常に重要である。この方の家も車で片道30分と比較的近かったので、往診へ伺うことに問題はなかった。それから幸いなことに僕はアルコールアレルギーなので、いつでも車を運転して動ける強みがある。在宅医にとっての24時間束縛は、共通の問題だ。特に過疎地では複数の医師で当直を分担するのが難しいので、大きな問題である。

 

緊急対応4「先生、今往診できますか?私が診ている患者で肺がんの末期の人がいるのですが、今『強い呼吸苦があるので診てほしい』と電話がありました。入院を勧めたのですが、『どんなことがあっても入院したくない』と言って困っています。私は今北杜市にいないので、ぜひお願いします。」

 上京して北杜市不在の医師からの電話依頼である。答えはもちろんOKだが、ともかく呼吸苦の緩和を図らなければならない。麻薬を使用していないので、薬局に麻薬の注射薬の準備を依頼しそれを薬局で受け取り、ポンプを持って僕は患者宅に向かった。

 到着時、患者はひどい呼吸苦のため混乱状態。僕は最少量のモルヒネから注入を開始し、慎重かつスピーディーに増量していった。翌朝には患者は居間のお気に入りのソファーに腰を下ろし、コーヒーを飲みながら甲斐駒ヶ岳を眺めていたとのこと。看病していた娘の驚きの報告である。呼吸苦は緩和されたが呼吸状態はあまりに悪く、残念ながら在宅診療開始後4日目にお亡くなりになった。短い期間であったが、いろいろなことが起きて家族が不安になるため、何度も10数キロ離れた患者の家を往復した。

 がんで亡くなる場合、在宅医療を始めてから亡くなるまでの期間が非常に短く(半数の方が1か月以内に死亡する)、医師の往診を必要とする緊急事態の発生は、非がんの方が亡くなる場合と比べて圧倒的に多い。

 

緊急対応5 100歳代の女性の急変例。夜中の2時過ぎ、同居する家族から電話があった。「夕食の時から少し元気がなかったのですが、突然『お腹が痛い』と言って震えています。熱を測ったら40度を超えているのでアイスノンで冷やしたのですが、震えは治まりません。」

 腎盂腎炎か胆道系の感染が疑われたので、即緊急往診。背部に著明な叩打痛が認められたので、まず腎盂腎炎だ。抗生剤を投与し補液をして退室。朝10時過ぎに往診した時には37度台まで解熱し、スヤスヤ寝ていた。同様の点滴を3日間続け、終了時にはいつもの状態に戻っていた。超高齢者の緊急医療で必要なのは補液、抗生剤投与、利尿剤投与、それに往診。お迎えを受け入れている本人、家族にはそれでほぼ十分だと考えている。

 

 (2023年4月12日記)