北杜折々の記23

(写真は本文とは関係ありません)     2023年6月に元厚労省事務次官の水田邦雄夫妻が来北されました。   詳細は本文下の文章をご覧ください。  
(写真は本文とは関係ありません)     2023年6月に元厚労省事務次官の水田邦雄夫妻が来北されました。   詳細は本文下の文章をご覧ください。  

「ひとり身の“わが家死”」実現に向けて

 

 在宅医として、ここでわたしに課せられた課題。それが最近見えてきたような気がする。

 『ひとり身の“わが家死”』実現。 “わが家でお迎えを受ける” ことができる地域を、この北杜市に実現することだ。このような目的意識を持った理由は、それが現状では極めて難しいからだ。この地を『ひとり身の“わが家死”』可能な地域にすることは、そのような希望を持った人すべてのためであると同時に、自分自身の問題でもある。

 

 わたしは、『ひとり身の“わが家死”実現』阻害の最大の原因が、この地域の人々に刷り込まれた常識にあると考えている。つまり、一人暮らしがわが家死を“切望”しても、周囲から『無理』の烙印を押され、あきらめざるを得ないからだ。この地に限らず、多くの地域でそれが常識だと思う。その常識にこだわる限り、施設に入るか東京へ舞い戻るしか、道は残されていない。

 

 しかし、わたしはどちらの道をも望んでいない。わが家でお迎えを受けたいのだ。だからそれが実現すれば、わが家死に固執する人にとって朗報となるはずである。医師としてのわたしのやるべきことは、その道を整えることだ。ただ誤解がないようにあえて申し上げるが、わたしは地域全体をそのような方向にもっていこうなどとは、毛頭考えていない。わが家死固執派のひとに限定して、この問題を考えている。

 

 昨今、マスコミなどでひとり身の在宅死をどう考えればよいか、という問題が様々な角度から取り上げられている。一人暮らしの高齢者が急激に増えてきたことがその主な理由だが、国を挙げて取り組んできた在宅医療はその問題に対して、どう関わるのか判然としないからだ。厳しい見方になるが、Easyな時だけ提供する在宅医療ではその存在意義が問われても仕方ないと僕は考えている。いま国民的課題として取り上げなければならないのは、“在宅生活の継続が困難”な一人暮らしの問題。突き詰めれば、“わが家死”切望の独居高齢者の希望をいかに実現するか、ということだ。これからも独居高齢者の在宅死について、できるだけ取り上げたいと思う。何が問題で、どのようにその問題を解決してわが家死を実現したか、見直しつつ考えてみたい。

 

 2023年の折々の記は本号が最後である。お付き合いくださった方々に、心より感謝します。どうか来る年がみな様にとって、よいお年となりますように。

(2023年12月17日記)

 

写真の説明

 少し前の話(本年6月)になりますが、敬愛する元厚労省事務次官の水田邦雄夫妻が来北され、わが家に一泊されました。チェロの生演奏を聞きながら美酒に酔い、昔話に花を咲かせました。水田さんの話の中でうれしかったことが二つありました。

 一つは、わたしの書いた論文*が政策推進責任者だった水田さんの心証形成に、大きなインパクトがあったという話です。在宅死したがん患者の剖検に関する原著論文ですが、労が報われたような気がしました。

 *川越厚、佐藤智:在宅死した癌患者の剖検所見-その臨床的意義-, 日癌治28(3):619-625, 1993.

 

 もう一つは、水田さんと交わした会話を再現して紹介します。

 

 川越:あの時(平成20年4月にスタートした後期高齢者医療制度作成のための作業部会)は苦労しましたね。

 水田:史上最悪の法律と言われ、まさに四面楚歌でした。

 川越:でも、この制度が成立しなければ医療保険は壊滅していたでしょうね。それから僕は基本的には賛成でしたが、慎重にやってほしいと注文を付けたACP(Advance Care Planning)の問題。結局この部分はあとで削除されるということになり、厚労省は大変な思いをされましたね。ところであの時、厚労省の責任者はどなたでしたか?

 水田:私です。当時保険局長をしていました。

 

 二人で顔を見合わせ、思わず爆笑。言われてみればたしかに、議論の場にいつも水田さんがいらっしゃった。物静かで穏やかなお人柄は、今も昔も変わりません。