北杜折々の記25

そろそろ春かと思っていたら、こんなに雪が降り、わが家の庭は真っ白になった。でも2,3日すればきっと融けるに違いない。こんな日はパノラマの湯にゆっくりと浸かるに限る。   
そろそろ春かと思っていたら、こんなに雪が降り、わが家の庭は真っ白になった。でも2,3日すればきっと融けるに違いない。こんな日はパノラマの湯にゆっくりと浸かるに限る。   

死が死んだ時代の上手な逝きかた

1 “死が死んだ時代”を生きる我々にとって、上手な逝き方は難しい

 

 今年はどうも、穏やかな年とはいかない気がしている。正月早々大きな地震が起き、目を外に向けると各地できな臭い匂いが漂っている。「さて、これから世界はどうなるか」と案じていた矢先、80歳を超える、親しい友人のM子が自宅の浴室内で急死した。

 

 長年連れ添った夫を数年前に失った彼女には、子供がいない。兄弟に頼ることもなく、都心から離れた郊外のマンションで、M子は気ままな一人暮らしを続けていた。逝き方プロを自称し、死に関する豊富な知識を持っていた彼女は、かねてから「これが自分の逝き方だ」という具体的な計画を持っていた。その計画とは、信頼する葬儀社にすべてを委ねること。葬儀社は死亡診断をする医師と提携しているので、検死になる恐れはない。あとは葬儀社にまかせ、自分は「夫の待つあの世へ、格好よく旅立つ」という予定だった。だが皮肉にもその計画は、最初の、しかも最も重要な段階で狂ってしまった。

 浴槽内で沈んでいるM子を最初に発見した、いわゆる第一発見者が、慌てて警察へ連絡したのだ。結果的に、彼女は最も忌み嫌っていた検死となったのである。このケースの最大の問題は、第一発見者が在宅主治医であったことと関連している。検死を避けるため葬儀社を通して紹介されたその主治医は、24時間体制で一年以上前から月2回の定期的な訪問診療を行っていた。上手な逝き方の事前準備としては申し分なく、死亡診断に関するM子の知識は正しかった。だが、主治医とはどこかに微妙なボタンの掛け違いがあったようだ。もし彼女が「検死だけは避けたい」という強い気持ちを主治医に伝え、彼が在宅医としてまずやるべき診察をきちんとやっていれば、警察に通報する必要はなく、検死を避けることができたはずである。その場に立ち会ったM子の妹は、「遺体が物として無造作に取り扱われ、廊下に転がされてそのままになっていたのを見て、大変つらい思いをした」と涙ながらに語っていた。遺された者にとっても、得心できない死となった。

 

 2年半前から、僕は北杜市に住むようになった。東京在住中にはあまり意識していなかった“逝き方に関する問題”がここにはいくつかあることを、最近とみに感じている。代表的な問題は人々が、「逝き方に関する“知識”は豊富だが、納得のいく死を創出する“知恵”に欠けている」ということだ。「知恵に欠けている」とは、死をリアルな出来事として、自分の問題として捉えていないため、それに対処する方法を真剣に考えておらず、かつ先達から学ぼうとする姿勢が乏しいことだ。多くの人は人間が老い、やがて死を迎えることを知っている。だが「老い、死は他人事。今の自分には関係ない」と嘯いたり、死自体を否定して人々は日々の生活を続けている。そのような生き方の中では、死と向き合う知恵は生まれてこない。M子のような得心できない死に方は、死を殺し、“死が死んだ時代”を生きる現代人の、ごく普通の、宿命づけられた逝き方だと僕は考えている。

 

 19世紀後半、ニーチェは『悦ばしき智慧』の中で狂気の人をして「我々が神を殺したのだ」と言わしめ、“神の死”をたからかに宣言した。“神の死”は人間を原罪の束縛から解放し、神不要の自由な生き方を人間にもたらすはずだった。正統派のキリスト教徒が「それこそが人間の原罪であり、ひとの死だ」と声高に叫んだとしても、神を殺した人間にとっては妄言に過ぎない。神の死は人間の自由な生き方をもたらしただけではなく、死の束縛からの解放をも約束し、人々は人間らしい死に方を模索することになった。

 ところがその後、現代人は神を殺しただけでは飽き足らず、死をも殺すことに熱中するようになり、その結果、上手な逝き方を実現することが非常に難しくなった。生き方に上手と下手があるように、死に方にも上手、下手ができ、上手な逝き方をした人には賛辞を寄せ、下手な死に方をした人には厳しい批判の目を向けた。だがその時代、1960年代半ばには、死は確かに生きており、人々は死の哲学を学び、理想的な死を追い求め、ホスピスケアの普及に意を注いだ。だが、ホスピスケアが緩和ケアという形で一般化されはじめると死自体が否定され、タブー視される傾向が徐々に強くなっていった。時を示す針がいつの間にか逆回りし、気が付くと我々は死を殺し、死が死んだ時代を生きていた。

 しかし神を殺すことはできても、死を殺すことはたやすくない。死が本当に死んだ時代を想像することは僕にとって恐怖だが、仮にその時代が来たとしてもそれはだいぶ先のことになるだろう。とすれば当面の問題は、死を殺すことに熱心な現代人が上手く逝くためにはどうすればよいか、ということになる。そこで明らかになったのは、「逝き方は人それぞれ。上手もあれば下手もある。ただ上手な逝き方をするためには、知識よりもむしろそのための知恵が必要だ」ということだった。

 

 死が死んだ時代の逝き方上手は、人々の多様性を認め、自分の希望する生き方、逝き方を最大限尊重してくれる“支え手”を求める。

 

(2024年2月27日記)