北杜折々の記1

自宅からの雪景色2022/2/10

 昨年(2021年)8月6日、東京の建物その他をすべて処分し山梨県北杜市へ妻と二人で移住した。振り返ると、1989年にクリニック医師として在宅ホスピスケアに取り組んでから30数年、2000年にパリアンを立ち上げてから20年余が経っていた。格好良く言えば、『やるべきことはやった』というのが表向きの理由だ。しかし実際には、僕自身の健康上の問題が大きく関係している。法人閉鎖の形をとったのは、私なりのこだわりがあった。それについても、いずれ皆様に報告したいと考えている。それはさておき、北杜市は住めば都。妻や子供と相談もせず、勝手に終の棲家と決めこんだ。

 

 この数日まとまった雪が降り、東京よりも寒いところに来たことを実感している。とはいえ、景色は断然こちらのほうがよい。雪景色を鑑賞しながら、この原稿を書いている。窓外には南東に富士、眼前の西側には南アルプスの甲斐駒ヶ岳、我が家から直接見ることはできないが北方面には八ヶ岳が聳えている。74歳の老人にとってはいわずもがな、光陰矢の如し。北杜へ来て半年があっという間に過ぎてしまったが、それでいて時が充実してゆったり感じるのは驚きだ。疑う方はぜひ確かめに来てほしい。

 

 50年分の医師の垢をゆっくり洗い落とす。これが北杜移住の目的の一つだったが、じっとすることが苦手なのはこちらに来ても変わらない。半年で5名の方を看取った。3名ががんで残りの2名は非がんだった。看取りの医療はその土地の文化、歴史の深層部に深く関わる。移住しなければできない貴重な経験であるが、そのことについてもこれから折に触れレポートしたいと考えている。

 

横着物で気に入ったことにしか興味を示さない、軽薄ものの私。この悪い性格を矯正すべく、Home Pageの作成にとりかかった。文章を書くのは嫌いではないので、ひと月毎にReviseすることを目標に、これからの生活を組み立てていきたいと考えている。

北杜山人敬白