北杜折々の記5

美しい緑に囲まれた散歩道     
美しい緑に囲まれた散歩道     

 目に青葉の頃、北杜移住後10カ月が経過しました。雲たなびく富士を南東の方向に眺めながら静岡の新茶で喉を潤し、この稿を認めています。50回の春秋を愛で、気が付けば私たち夫婦は「姥桜に花咲じじい」。でも充実した日々です。戦火の中に身を置く人々、Pandemicの脅威は薄らいできたものの政治や経済の現実にこれから向き合わざるを得ない若者に思いを馳せつつ、今の自分たちの幸せに感謝しています。

 

 前回の折々の記で、私は「北杜市の在宅死亡率が12.5%と、全国平均(15.7%)と比較して低い」ことを指摘しました。全国平均と比較して北杜市は高齢者が多く死亡率も高いのですが、在宅死率が低いのは私にとって意外でした。というのは普通に考えれば、「がん死が少なく老衰死が多い北杜市では、在宅死の頻度が高くなるはず」だからです。どうしてそのようなことになるのか、自分なりのImpressionを述べたいと思います。

 

 この問題には、人々の意識が関係していると私は考えています。

「老いや死を話題にしたくない」という生き方、「何かあれば救急車で病院へいけば良い」という確信、「自分のことは最期まで自分でやる」という強い意思、「家族に迷惑をかけたくない」という考えなどが関係しています。この意識の問題、考え方は人それぞれなので、口をはさむつもりはありませんが、限られた資源の中でこれらの生き方を何とか貫けるのが北杜市の魅力かもしれません。

 

 一方で、「施設ではなく、住み慣れた自分の家で人生を締めくくりたい」と強く願う方も少なくないのは事実だと思います。しかし自宅での生活が難しくなると、現状では施設へ入るか、子供たちのいる所へ居を移さざるを得ません。これらの解決法では「北杜に最期までいたい」という希望が実現しないわけですから、言ってみれば最大の悲劇が生ずることになります。このようなことが起きる背景には自分自身の『老い・病』が横たわっており、「最期まで家で過ごす」という在宅死を実現しようとすれば、高齢者の生活を支える福祉、病人を支援する在宅医療を抜きにして考えることはできません。この『高齢者の在宅生活を支える医療と福祉』について、正しい知識を持つことが必要です。

 

 まず医療。1992年の医療法の改定により、それまで病院や診療所でしか受けられなかった医療を、人々は自分の家(居宅)で受けられるようになりました。その後様々な整備がなされたのですが、現在の在宅医療は在宅医療専門の診療所を中心に展開しています。たとえば、私が以前活動していた墨田区周辺(江東、江戸川、台東区など)では若い先生方が相次いで開業し、結果的に『在宅医過剰』と言ってよい状態になっています。患者さんにとってはありがたいことなのですが、私のような老医師は「どうして、若い医師はもっと求められている所へ行かないのかな」と思っています。それはさておき、在宅医療は哲学、実際のやり方など、病院や診療所の外来で行われる医療の単純な延長ではありません。在宅医療が充実するためには、在宅医療を専門とする診療所が地域ごとに広がるべきだと私は考えています。

 

 次は福祉の問題ですが、自分や家族に必要なサービスを選択できるように、まずサービス内容をしっかり知ってください。介護保険の精神とそれに関連した我々の心構えについて、重要なことをお伝えしたいと思います。それは2000年に介護保険制度がスタートした時、盛んに言われた「措置から契約へ」という言葉と関係しています。2000年以前、特別養護老人ホームなどのサービスを受けるのは行政の『措置』でしたが、介護保険制度下ではそれが『契約』に替わった、という意味です。契約ですから別の言い方をすれば、「個人の選択が認められた」ということになりますが、これは同時に「自分のことは自分で選択しなさい」という厳しいメッセージでもあるわけです。

 

 この素晴らしい地域における『老いと死』を考えるとき、まず自分のことは自分で決めなければならないことを忘れてはなりません。今回はお説教調になりましたが、お許しください。

 

北杜山人敬白